So's blog

時間の無駄です

#23(2020/05/23)

父はほぼ毎日晩酌をする。そして私はそのつまみを傍から少し頂戴する。これは私が幼稚園児の頃からやっていた。

 

それで珍味を多く食べ続けたお陰か、それとも別に正しい教育を受けたからなのか、私には嫌いで食べられない食べ物というのが無い。常識的観点においてシンプルに不味いものは勿論食えないが、酸いも甘いも苦いも辛いも好んで食べられるのは私の自慢だ。

ちなみに今日は野沢菜の漬物だった。野沢菜シャキリとした食感と漬け汁のシンプルな味わいが美味しい。

 

給食にこれが出たのを思い出す。あまり子供に人気が無いソレはよく余り、且つクラスの食いしん坊も欲しがらなかったため好きなだけ根こそぎ取れた記憶がある。

給食、楽しかったな。まず出るものが美味い。昔はそうでもなかったようだし今でも異様に質素なものしか出ない学校があるようだが、少なくとも私が通っていた学校ではセンター手作りの美味いものが食えていた。私が一人暮らしで苦し紛れに用意するようなものとは格が違う。あそこで出た肉じゃがをバケツ一杯食ってみたい。そこまでは食えないか。

そして皆で同じ食べ物を共有し談笑するという概念が愛おしい。今の内気な自分には厳しいかも知れないが、小学生の頃の自分は芸人同然のはしゃぎ屋だった事を思い出す。皆で同じ釜の飯を食った後は、張り切って午後の授業に励もうと力が付いたものだ。

 

給食はやがて弁当へ、そして大学生となった今、弁当は学食へと移り変わっている。有料だし高確率で一人で食っているが、その日の気分にあったものを一人でじっくり食べられるというのもまた一興だ。現在は事情から食べられなくなっているのが惜しい。学校に行くのは今も昔も億劫だが、あそこで食うカレーがまた食べたい。