So's blog

時間の無駄です

#8(2020/05/08)

今日は書くような話題も書く気力も無い。もう限界が来たのか。畜生。

 

などと嘆いているだけでは何も生まれない。何か。何か無いのか。

正直無い。今日は授業を受けて課題をこなし、飯を食いゲームをしたら一日が終わっていた。他にこの七日間と違ったことと言えば昼食が昔から行き続けていたパン屋のパンだった事ぐらいだが、これも実家で居る時しか味わえない思い出の味だとかこのパンが美味くて好きだとか、ツイッターの140字で足りるものや見るからに読者と関係の無さ過ぎる個人的領域に留まってしまう。これは日記。「いまどうしてる?」ではなく「今日何してた?」なのだ。規模が違う。

 

正直こういった何も無い日はいつでも存在しうるだろう。冷静に考えれば、日記を毎日継続することと今日のような何も無い日との衝突が避けられないことは火を見るより明らかだった。故に何かしら対策、又は妥協案を打たなくてはならない。

 

妥協案、というのはたまに日記を休む日を設ける事。一日休日を設けたらそこから最低一週間以上は休日を設けずに書くという、ゲームの所謂クールタイム制を取った技のようなシステムを考えた。

却下。自由度のあるシステムを作ったように一瞬思ったが、どうせ私の性分だとこれをフルに使うに違いない。このシステムは無理し過ぎず休み過ぎず、その間を自分の調子によって融通利かせる効能を持つかに思えたが、どうせ休日から一週間を過ぎたらまたすぐに休日を設けるだろう。クールタイム付技制と言うよりは只の週休制になりそうだ。

それにこれは自分ルール。少しでも甘えたルールを設けるとそこから一週間に一度、五日間に一度、三日間に一度・・・とどんどんペースを緩めて最終的にこのブログを停止させかねない。そんな夏休みの宿題をやるガキが自滅するような愚かな様はどうしても避けたかった。まるでガキ。そう考えると日記を継続するという行為は私が大人であることを証明する最後の砦に見えて来るかも知れない。

 

対策とは、何も無かった日も何とかして話題を取り繕い、その場を凌ぎ続けること、またその術を身に付ける事である。#1にて書いたようにその日その日でしっかりと気を保ち続けるような事。#2にで実行したように例えば晩御飯のといった軽い切り口で始めるような事。

 

あれ?正直これ出来てないか?

答えは既に出ていたらしい。今日が億劫ながらも自分に鞭を打ち、その日が退屈でありながらも小さな切り口から話題を切り開こうと試みた事。それによって今日という問題が解決されたのは自明であった。

最適解ではないか。「対策とは、~」と書く前からそれが既に成功していた。今日もこのページを開いたし、既に文字数は4桁にも上っていた。

小さな人間の抱える問題とは、所詮小さなものだった。故にこれは私が思うよりも軽い弾みにて解消され終わった。なんだ、簡単な事だったんじゃないか。考察終わり、日記終わり。

 

 

何が限界だ、死ぬまででも続けてやるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「俺はこれから桜の木になろうと思う」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記は一生続けても良いけど一発ギャグコーナーだけはマジで続く気がしない